美容と健康においしい、
プレミアムチョコレート。
博多のチョコレート文化を牽引してきた「チョコレートショップ」と、インナービューティプロダクトを展開する「エステプロ・ラボ」が共同開発した「プレミアムチョコレート」。キレイとおいしいを満たす、特別なチョコレートをぜひご賞味ください。
※パッケージは変更になる可能性がございます。
プレミアムチョコレート 5粒入
3,024円(税込)
美容と健康においしい、
プレミアムチョコレート。
フローラバランスアーモンド×2、トリプルカッター®プラリネノワゼット×2、ハーブザイム®オラックスダブルベリー×1の5粒入りです。
厳選商品を使い
ショコラティエの巨匠が生み出した
「キレイ」と「おいしい」を満たす
ギルトフリーチョコレート
エステプロ・ラボの
人気3商品を贅沢に配合
ハーブザイム®113
グランプロ オラックス
「フィトケミカル(ポリフェノール)」に着目して研究開発した“還元力”が際立つ酵素飲料です。
フローラバランス
EXグランプロ
日本古来の食文化から生まれた従来の乳酸菌とは一線を画した乳酸菌サプリメント。
トリプルカッター®
グランプロ
25種類の有用成分が食事をサポート。プロフェッショナルユースのボディメイクサプリメント。
「エステプロ・ラボ」の中でも特に人気の高い3アイテムを使ったチョコレートラインナップをご用意。食べるほどに毎日が美しくイキイキとする本格派のチョコレートの味わいをぜひご自身でご賞味ください。
プレミアムチョコレート 5粒入
3,024円(税込)
厳選商品を使いショコラティエの巨匠が生み出した「キレイ」と「おいしい」を満たすギルトフリーチョコレート
ハーブザイムオラックスダブルベリー(7g)×1、トリプルカッタープラリネノワゼット(8g)×2、フローラバランスアーモンド(8g)×2の5粒入りです。
Esthe Pro Labo®(エステプロ・ラボ)とは
国内外を問わず内面美容商材・サロンを展開するインナービューティのパイオニア
「エステプロ・ラボ」は、健康寿命の延伸に貢献するために、インナービューティのパイオニアとしてこれまでに数多くのプロユース品質のプロダクトを送り出してきました。美容と健康を内面からサポートする、その品質の高さは海外からも認められ、現在9カ国において展開しています。
Esthe Pro Labo®(エステ
プロ・ラボ)とは
チョコレートショップとは
福岡で70年以上愛され続ける老舗チョコレートショップとのコラボレーション
「チョコレートショップ」は、1942年の創業から福岡のチョコレート文化をつくってきた老舗ブランド。巨匠が生んだ、妥協しない本物のチョコレートづくりと、「エステプロ・ラボ」のインナービューティへこだわりが共演したのがこの「プレミアムチョコレート」です。
1942年 博多で開業
2004年 本店が店屋町から綱場町に
2011年 博多の石畳オープン
2014年 「ZERO(ゼロ)チョコレート」がパリコレデビュー
2014年 パリのマレ地区にオープン
2016年 ミラノコレクションデビュー
2018年 「チョコレートショップ山王店」オープン
Chocolate shop Chef 佐野 隆
チョコレートショップとは
「チョコレートショップ」の軌跡
チョコレートショップのはじまりどころ
1942年に創業したチョコレートショップは、九州の博多におけるチョコレートの出発点。まさに「博多のチョコのはじまりどころ」です。戦時中の日本に希望を届けるため、チョコレートにこだわり続けた職人の想いから博多の街で産声を上げました。2022年には創業80周年を迎えます。
シェフである二代目の佐野隆氏(以下、隆氏とする)は、幼い頃から、本物のチョコレート作りを追求する初代シェフの佐野源作氏(以下、源作氏とする)を手伝う日々を通し、自然とその技術を身につけました。「父親を超えるチョコレートを作る」という強い想いで、現在も九州の「チョコレートショップ」という舞台で、数多くの商品を生み出しています。
そして、チョコレート業界でも有名である三代目の佐野恵美子氏(以下、恵美子氏とする)。2017年2月に自身の店「LES TROIS CHOCOLATS」(レ トロワ ショコラ)」を、パリにオープンさせました。これは、日本人女性として初めての挑戦であったこともあり、メディアでも注目を集めています。
現在は、日本にも「レ トロワ ショコラ」×「チョコレートショップ」の店舗をオープンするなど、先代から続くチョコレートの素晴らしさを日本中だけでなく、世界中に発信しています。
100種類以上のチョコレートが並ぶ九州初の専門店
そんなチョコレートショップの本店は、九州・福岡県の福岡市営地下鉄空港線の「中洲川端駅」より徒歩5分、もしくは箱崎線「呉服町駅」より徒歩3分の場所に店を構えます。
洋館のような店内には、温湿度が管理されたチョコレート部屋である「サロン・ド・ショコラ」が存在し、そこには、温度18℃・湿度45%とチョコレートにとって最適な環境で常に保たれているチョコレートセラーがあります。本店の2階工場で作られた100種類以上の出来立てチョコレートが、ショーケースに並んでいます。まさに、九州初の貫録を感じさせるチョコレートの空間です。
チョコレート以外にも生菓子や焼き菓子、バームクーヘンなど、様々なスイーツが並んでいます。また、実演コーナーやチョコレートが泉のように湧き出る「チョコレートの泉」も。さらに、バレンタインやひな祭り、ハロウィーン、七五三、クリスマスなどの季節のイベントを表現したスイーツギフトもご用意されています。
その他にも、九州にはチョコレートショップの店舗が存在します。JR博多シティアミュプラザ博多1Fにある「チョコレートショップ 博多の石畳」。2011年3月、博多のギフトショップとしてオープンしました。博多の玄関口であるJR博多駅のコンコース1階に面しているため、お土産として買われるお客様が多く、店内はブランド品のスーツケースをイメージしたショーケースが特徴で、白とゴールドを基調に洗練された空間になっています。
2017年10月に天神でリニューアルオープンした「レ トロワ ショコラ × チョコレートショップ」は、パリで2017年2月に誕生した三代目 恵美子氏の「LES TROIS CHOCOLATS」と「チョコレートショップ」とのコラボ店舗です。リニューアル前の「チョコレートショップ ソラリア店」とはテイストを変え、パリ店の看板商品である「レ トロワ ショコラ」を展開しています。
というのも、パリの人々にはワインや濃いコーヒーを、濃厚なチョコレートと一緒に楽しむ習慣があります。そんな現地の文化に寄り添う形で、本場パリで認められたチョコレートを九州に届ける国内唯一の店舗です。
3店舗目は、セントラル工場にある「チョコレートショップ山王店」です。セントラル工場は、業務の効率化と時短のために製造工程を一元化することを目的に、2018年夏に設立されました。なんとその工事段階で、地域からの要望もあり、予定のなかった販売店舗スペースを急遽設けて誕生した店舗です。
他店舗よりもスペースが狭いですが、工場で作り立てのチョコレートを購入できる魅力があります。地域密着型の郊外店舗は、チョコレートショップにおいて初です。
そして、空の玄関口や宿泊先でもチョコレートの商品を感じていただけるよう、「チョコレートショップ 空の石畳店」と「ヒルトン福岡シーホーク店」も登場しました。
「チョコレートショップ 空の石畳店」は、福岡以外にお住まいの方へのお土産として購入いただける福岡空港内のショップです。「ショコラーナ」はこの店舗のみで限定販売されています。
福岡市の博多湾を望む海沿いに展開する客室が魅力のアーバンリゾートホテル、ヒルトン福岡シーホークにある「ヒルトン福岡シーホーク店」は、客室でもチョコレートを購入することができるのが特長。限定販売の「うるし箱」はお土産として大好評です。
創業者 佐野源作のチョコレートへの想いとは
そんなチョコレートショップは、どのように誕生して現在に至ったのでしょうか。ここでは、その誕生秘話をご紹介します。
1942年、九州の博多で産声を上げた「チョコレートショップ」。店を生み出したのが源作氏です。大戦によって疲弊していた当時の日本で、チョコレートに対して強いこだわりを持ち、チョコレート作りに全身全霊をかけた人でした。
源作氏は1902年に誕生。その後、14~15歳頃に東京の旧帝国ホテルで料理人として働いていました。
そこで大きな転機が訪れます。それは、トリュフチョコレートとの運命的な出会いです。初めての口当たりと味に源作氏は魅了され、「こんなチョコレートを作りたい」と思うようになりました。
そのチョコレートを作ったのは、当時、ロシア革命で日本に亡命していたロシアの料理人。源作氏には、海外への想いが沸き上がってきたのです。
その想いがカタチになるのに、多くの時間はかかりませんでした。それから数年後、源作氏は外国船のコックとして働きながら、ヨーロッパへと渡ります。海外旅行という概念すら日本にはなかった時代です。
もちろん言葉も通じない異国の地で、苦労という言葉以上の経験を毎日続けました。ただ、源作氏にとってはその日々もやりがいに満ちていたのです。「誰からも認められるチョコレート職人になる」という情熱を叶えるために。
日中戦争が勃発する1930年代末、源作氏は日本に帰国して博多に立ち寄りました。当時の博多で特に栄えていた繁華街である店屋町。源作氏はそこで、後の妻になる富美子氏と出会ったのです。
1939年、源作氏は店屋町でチョコレート専門店を開業しました。それがチョコレートショップの始まりです。ただ当時は、外国語が敵性語として使用を禁止されていたため、「チョコレート」を入れた看板を掲げることはできませんでした。
そんな源作氏の人生を揺るがす大きな試練が訪れます。1942年、源作氏のもとに徴兵を命じる「赤紙」が届いたのです。
そこで源作氏は妻と誓いを立てます。「俺が生きて店屋町に還ってきたら、チョコレートショップという名で店を再開しよう」。敢えてこの日を、チョコレートショップの創業日にしました。
1945年に終戦を迎え、無事に店屋町へ還ってきた源作氏は、『チョコレートショップ』という文字の入った看板を掲げたのです。
親子二代でチョコレートショップを紡ぎ出すために
その後、お店を再開したもののチョコレートはまったく売れませんでした。当時、コッペパンは1個15円。その中、チョコレートは1個100円と高額だったこともあり、誰も興味を示さなかったのです。買ってくれるのは進駐軍のアメリカ人ぐらいでした。
ここでチョコレートショップにおける、もう一つのターニングポイントを迎えます。
1956年、長男の隆氏が誕生。毎日の食卓に売れ残ったチョコレートが並ぶことが当たり前な環境で育ちました。
それでも、まっすぐに本物を追求する源作氏はチョコレート作りに励みます。源作氏が作るチョコレートは、防腐剤や添加物を一切使用しておらず、もちろん日持ちはしない。そのため、「カビが生えている」と、お客様からのクレームも度々ありました。
「旨いものに余計なものはいらない。新鮮なものほど時が経てば傷む、当たり前のこと」と考える源作氏のチョコレートは、世間に受け入れられなかったのです。
チョコレートショップは、家族全員で店を切り盛りする日々が続いており、当然、隆氏も小さな頃からチョコレート作りを手伝わされる毎日でした。
1973年にはカフェを併設。そこのカレーが評判となり、チョコレートも売れ始めました。ところが、チョコレート職人として頑固な源作氏の生き方が受け入れられなかった隆氏は家を飛び出したのです。自分の将来と重なって見えてしまい、お店を継ぎたくないという想いが原因でした。
1974年、大学2年生になった隆氏は神戸にいました。当時、付き合っていた彼女にチョコレートをプレゼントするため、働いていたお店の余った材料でチョコレートを作ったところ、先輩シェフからとても評価されたのです。
そこから自問自答し、「父を超えるチョコレートを作る」という想いが強くなった隆氏は、スイスでの挑戦をスタートしました。皮肉にも、父と同じスイスでの修業を選択したのです。
その後、1976年にパティシエとして九州の博多へ戻った隆氏は、源作氏にこれまでのことを謝り、自分で作った新作をお店に並べるために精進。ところが、人気があったのは最初だけで、売れるのは源作氏のチョコレートで、なかなか売れるようにはなりませんでした。
隆氏はそのことで、源作氏が作るチョコレートの奥深さを知ったのです。父の仕事を見ながら研究を重ね、自分の技術を磨いていきました。体温で溶けだす1mmにも満たない薄い外皮と炊き上がった白米のような優しい弾力を持つガナッシュ。その食感のコントラストこそ、源作氏が極めた技。季節ごとに日々異なる室温であっても完璧に温度調整する感覚と技術が絶対条件でした。
けれども、幼い頃から父のチョコレート作りを手伝ってきた隆氏には、その基礎が自然と備わっていたこともあり、隆氏は寝食を忘れて技術の鍛練と研究に明け暮れる日々を送りました。
そしてある日、源作氏が隆氏の作ったチョコレートを売れ筋商品が並ぶショーケースに置いたのです。父が隆さんの仕事を認めた瞬間であり、隆氏に職人としてのプライドが芽生えたきっかけになりました。それからは評判が評判を呼び、チョコレートが飛ぶように売れ始めたのです。
チョコレートの魅力を世界へ発信する
2004年、チョコレートショップ本店が60周年を記念し、店屋町から移転しました。2階には製造部門を設けて生産性を拡大。現在の本店が誕生したのです。
65周年を記念する2009年、本店の向かいに「サロン・ド・ギフト」がオープン(2018年6月のセントラル工場新設に伴い本店に機能を集約して移設)。2011年3月にはJR博多駅のリニューアルに合わせ、JR博多シティアミュプラザ博多の1Fに「チョコレートショップ 博多の石畳」が完成しました。翌年、ソラリアプラザ1Fに「チョコレートショップ ソラリア店」がオープン(2017年10月に「レ トロワ ショコラ×チョコレートショップ」としてリニューアル)。
また、2014年7月に開催されたジェレミー・ブエノ氏の2014年秋冬コレクションにおいて、チョコレートショップの「ZEROチョコレート」が公式ケータリングフード、及び招待客用のギフトに選ばれました。その「ZEROチョコレート」は、2015年に開催されたイタリアのミラノEXPOで日本代表に選出。2016年のミラノコレクションでは、ケータリングフードとして採用されました。
そして、2015年には三代目 恵美子氏のショコラトリーがサロン・デュ・ショコラで金賞を受賞。そもそも、恵美子氏は社会に出て仕事をする中で、多くの人がチョコレートショップを愛用してくれていることを知りました。それがきっかけで職人としての父に尊敬の念を抱くようになり、三代目として店を継ぎたいと思うようになったのです。
しかし、隆氏には拒絶されました。それでも継ぎたいという想いを伝えると、本場のフランスを経験してから決めろと言われたのです。恵美子氏はチョコレートやフランス語のことを何も知らずにフランスに旅立ちました。
10年にも及ぶフランスでの修業を経て、ついに念願が叶います。2017年2月、パリに「LES TROIS CHOCOLATS」をオープン。日本人女性としては初の出店でした。2017年10月には、その「LES TROIS CHOCOLATS」とチョコレートショップがコラボした、「レ トロワ ショコラ」×「チョコレートショップ」をリニューアルオープン。その後2018年、「チョコレートショップ山王店」などを展開しました。
源作が願いを込めた“チョコレートショップ”は現在も、世界各国で作られた数多くのチョコレートをブレンドし、日本人好みの味や食感を追求しています。このような先代から続くこだわりが、九州のチョコレートの原点である「チョコレートショップ」で受け継がれているのです。